コンピューターによる打ち込み音楽の作成が手軽にできるようになった現在、オリジナル曲を作ったり、作った曲を音源にすることがとても容易になり(私も創作の中心は打ち込みですが)、生の楽器では演奏することが難しい曲も演奏する(音源を作る)ことが可能になりました。
また、ボーカロイドの出現で、人間が歌うことが困難な曲も、歌音源を作ることができるようになりました。
そうして生まれた曲にも、すばらしいものがあります。
作曲があらゆる人に身近になったことは、良いことでしょう。
ただ、音楽は“人”によって奏でられることが本来の姿であるように、私は思います。
歌は人の声によって、器楽曲は人による生楽器の演奏によって、もっとも魅力が発揮されるように、私には思えますし、そういう作曲を心がけています。
また、昨今、ポピュラー音楽の世界などでは、先に曲を作り、その曲に当てはめて詞を書くという作り方が主流だそうですが、私は、原則、先に詞をいただいて、その詞の言葉を生かした曲を作っていく、というやり方をさせていただいています。(インストルメンタルは別ですが)
詞の言葉には、そこに内在するリズムや抑揚があります。
私の作曲(歌の場合)は、たとえば砂の中から宝物を掘り出すように、言葉に内在するメロディーを紡ぎ出してゆきます。
特に劇中歌の場合、耳で聴いただけで、言葉が、その言葉に込められた想いが伝わる、そういう曲作りを心がけています。
具体的には、原則として言葉のイントネーションの上がり下がりとメロディーの上がり下がりが一致するようにしています。なので、言葉が変わればメロディーも変わります。
同じ曲の1番、2番であっても、詞の言葉が違えばメロディーも微妙に違うことがよくあります。
(校歌等、1番と2番が同じメロディーでないと不都合な場合は、そのかぎりではありませんが)
なので、最初ちょっと難しいのではと思われる方もいらっしゃいますが、言葉に沿ったメロディーですので、言葉を話すように歌っていると自然に身体に入ってきますし、劇中歌を聴かれたお子さんが終演後には覚えて歌ってくれていたり、「翌日までメロディーが耳に残って頭の中を巡っている」という感想を頂くこともしばしばあります。
また、劇中歌の場合、ときどき脚本の仕上がりが遅れて歌詞だけ先にいただいて作曲をしてほしいといわれることがありますが、できる限り、少なくともその歌が出てくる場面までの脚本と共に詞を下さるようお願いしています。同じ詞でも、誰によってどのような場面で歌われるのかによって、その歌に込められる想いは違ってくるので、曲も全く変わってきてしまうからです。
歌うのが誰なのか、劇中歌であれば誰がどういう役として歌うのか、ということも、歌作りには重要な要素です。
女性なのか、男性なのか、大人なのか、子どもなのか、また、ソロの場合は特にその方の声域に合わせた作曲をしないと歌い手の魅力を十分に発揮できません。
女性が男性役として歌う場合などは、地声の男性的な響きで歌える音域でないと、劇として成り立たなくなってしまいます。
なので、あらかじめその歌を歌う人が決まっている場合は、可能であれば、何らかの形で歌声や声域を確認させていいただけると、より歌い手の魅力を引き出す曲作りができます。
複数で歌う曲の場合は、「あえてユニゾンの方が効果的」という場合以外は、2部以上に分かれるハーモニーをつけた作編曲をさせていただきます。
練習時間や歌う方の技量に合わせて、ちょっと歌い甲斐のあるくらいの難易度で、歌い手にも(もちろん聞き手にも)複数の旋律の響きあう心地よさを感じていただけるように、ハーモニーを重ねていきます。
伴奏の編曲・音源(カラオケ)作成は、コンピューターとシンセサイザーやサンプリング音源を用いた、いわゆる打ち込みが主ですが、特に人工的な音の効果を狙いたい場合以外は、なるべく生楽器の音色で、生楽器の音に近い音源を好んで使い、実際の楽器での生演奏が可能な編曲を心がけています。
また、最近は、演奏家の方に生演奏で演奏していただく機会も増え、音源作成を伴わない、生演奏を前提とした作編曲もさせていただいています。